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松 あきら(まつ あきら、1947年12月3日 - )は、日本の女優〔ただし、政界入りして以降は活動を休止している。〕、政治家。元宝塚歌劇団花組男役トップスター。公明党顧問。本名、西川 玲子(にしかわ れいこ)。旧姓、松本(まつもと)。 参議院議員(3期)、経済産業副大臣(第3次小泉改造内閣)、公明党副代表、参議院総務委員会常任委員長、政治倫理審査会幹部役員などを歴任。 夫は元新進党衆議院議員の西川知雄で、娘が一人いる〔西川と早世した西川の初妻との間の子。松・西川の間に子はない。〕。 == 来歴 == 1964年、横浜雙葉学園1年修了時に宝塚音楽学校に合格し、高校を中退して宝塚音楽学校に入学。 1966年、宝塚歌劇団に入団。月組公演『日本の四季/ファンタジア』〔で初舞台を踏む。同期に瀬戸内美八、川地民夫夫人の麻生薫(1988年死去)らがいる。入団時の成績は51人中37位〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』pp.72-73(阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日)。ISBN 9784484146010〕。同年12月4日、星組配属〔。のちに花組〔へ組替え。 1974年、甲にしき退団後同期の瀬戸内とともに安奈淳へのつなぎとして花組主演男役を務めた後、安奈・榛名由梨トップ時代の2番手として活躍。1978年、安奈の退団にともない『遥かなるドナウ/エコーズ』で再び花組トップスターに就任。相手役には当初上原まり・北原千琴が歴任し、1979年より美雪花代、1981年より若葉ひろみが務め、また、1980年からは順みつきとの二人トップ体制を挟み活躍。 1982年12月6日〔をもって宝塚歌劇団を退団〔。なお、退団公演『夜明けの序曲』は文化庁芸術祭大賞を受賞した。退団後は、舞台やテレビドラマなど女優業を中心に活動〔。 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙にて新進党から神奈川県選挙区に立候補し、初当選した〔。同期当選に、元花組組長の但馬久美がいた。なお、政界進出を機に芸能活動は休止状態となった。 1996年10月、夫の西川知雄が新進党から第41回衆議院議員総選挙に立候補し、落下傘候補ながら当選を果たす。しかし、4年後の2000年に西川は改革クラブから立候補し、落選。 2001年3月22日、国会審議にて江本勝の著書『水は語る ''Water,it tells us precious things.''』を肯定的に取り上げて教育の重要性を訴えたため、ビリーバーとして話題となる。 2001年7月、第19回参議院議員通常選挙にて公明党から立候補し、再選を果たす。2003年、参議院行政監視委員会にて委員長に就任。また、第1次小泉内閣にて経済産業大臣政務官に、第3次小泉改造内閣にて経済産業副大臣に任命された。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙に公明党から立候補するが、自由民主党から立候補した小林温に破れ次点で落選。しかし、当選した小林の秘書らが日当買収容疑で逮捕され有罪となり、小林が参議院議員を辞職したため、公職選挙法の規定に基づき松が繰り上げ当選を果たした〔。 2012年8月、翌年の参議院選挙には出馬せず政界から引退することを表明〔〔松の神奈川県選挙区からは、翌2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では、弁護士で新人の佐々木さやかが公明党公認として後継出馬し、3位で当選。〕。 2013年8月、公明党顧問に就任する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松あきら」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Akira Matsu 」があります。 スポンサード リンク
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